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光ディスク特集記事[メーカー編]

 年間「100億枚(CDs21発表)」――これが何の枚数かおわかりだろうか?これは、記録できるCDの代名詞として広く使用されている「CD-R(Compact Disc Recordable)」の年間の総生産枚数である。この生産数は、過去に一世を風靡したカセットテープやVHSテープ、コンピュータ用に広く普及したFDDでさえ、達成できていない。CD-Rは、今やIT時代の"紙(デジタルペーパー)"といっても良いほど、世界中で使用されている記録ディスクでもあるのだ。

 この世界一の生産枚数を誇るCD-Rは、セラミックコンデンサなどの受動電子部品メーカーとして業界で有名な「太陽誘電」によって開発された。同社が、再生用CDとの「コンパチブル」に拘り、それを実現したことによって、CD-Rをここまで普及させる道筋を築いたといっても過言ではない。また、CD-Rの技術は、後に登場するDVD-R、DVD+Rなどの追記型DVDディスクに生かされるだけでなく、次世代のBlu-ray DiscやHD DVDにも生かされている。CD-Rがなければ、今のDVD-R/+Rの普及だけでなく、次世代の記録ディスクもなかったかもしれない。

CDコンパチブルなディスク――言葉にすると簡単だが、その開発は、困難を極めた。アッパーコンパチブル――つまり、上位互換であれば実現できる目処はたっていたもののコンパチブルを実現するためには、ブレークスルーが必要だったのだ。多くのメーカーが、この命題にチャレンジし、挫折しただけでなく、撤退していったメーカーまであったという。太陽誘電でCD-Rの開発が始まったのは、今から22年前、1985年のことだ。

太陽誘電がCD-Rの開発をはじめたわけ
テープ全盛の時代に次を模索する

 1980年年代に「That's」ブランドの磁気テープが販売されていたことを覚えている方はいるだろうか?当時のオーディオマニアなら、おそらく覚えている方も多いだろうと思うが、このThat'sブランドのカセットテープなどの磁気テープが、太陽誘電が初めて販売した記録メディアである。セラミックコンデンサの会社として有名だった太陽誘電は、セラミックの粉を分散させて製造するセラミックコンデンサの技術を流用して、磁気テープ――いわゆるビデオテープやカセットテープ――を製造し、That'sというブランドで販売していたのである。

 このため、CD-Rの開発は、太陽誘電が行っていた磁気テープという記録メディア事業展開の中で、次の商品としての位置づけもあったようだ。もう1つの側面が、将来的な展望を考えたときに、無機材料だけでなく、有機材料の可能性も追求し、それにも目を向けておいた方がよいだろうという会社としての判断である。つまり、太陽誘電として、有機材料を使った技術を開発していこうという方針と記録メディアの発展というところの2点が、CD-Rの開発を始めたきっかけだったようだ。

 ただし、よくある話だが、そんなもの(CD-Rの開発)をやってもという向きも社内にはあったようだ。「85,6年というのは、テープに限りが見えていない状況でした。容量などの面だけでなく、ランダムアクセス性は、確かに板(CD-R)の方が良かったのですが、テープ全盛だったのでそんなものやってもという向きもあったという話を聞いています。」とCD-R開発に関わった新井雄治氏(現記録メディア事業部 技術部 部長)は、当時のことを振り返る。

 実際にCD-Rの開発は、当時の状況を反映するかのようにわずか「4人」のメンバーで始まった。「1985年に始まったCD-R開発の初期メンバーは、CD-Rの父とも呼ばれている石黒を先頭にして、CD-Rの母とも呼ばれている浜田、辛(しん)、太田黒の4人チームで、細々と研究所の片隅でやっていたという感じです。ちなみに私(新井)は、第5の男で、1987年に加わりました(新井氏)」

実験はすべて手作業、機材も多くは手作り
「基礎研究ってこんな感じ」――それが第一印象だった

 「基礎研究ってこんな感じなのかなというのが、CD-R開発チームに入ったときの印象です。当時は、CDと同等の12cm径の円盤を作ることさえできませんでしたから。」

 CD-R開発チームに配属されたころのことをこう振り返る新井氏。氏曰く、当時は、ほとんどすべての作業が「手作業だった」のだという。もちろん、実験用の機材についても同様。実験をするにしても、新しい物だから、実験器具がない。だから、「自分たちで色々なものを作るしかなかった。(新井氏)」

 たとえば、記録実験は、手作業で実験用のディスクを製造し、それに対して手作業で記録することで行ったという。「実験用のディスクは、当初、5cm各のポリカーボネートの普通の板に、我々が後に使うことになる色素材料を手作業で塗りつけて、それをディスクに見立てて行いました。実際の記録実験は、顕微鏡に似た形のレーザーのガンがあり、5cmのディスクをそのガンの下におき、自分で覗き込んでシャッターを切るようにすると、レーザーがビシッと5cmのディスクに対して発射されるんです。それで、ビシバシとやりながら、記録できるできないということを確認するわけです(新井氏)」

 手作業による記録実験は、ディスクの形状がCDと同じ円盤状になってからも変わらなかったという。「さすがにCDと同じ形状の円盤を作るところは、手製ではできなかったので、射出形成機でやるようになりました。しかし、そこから上に色素材料など色々なものを乗せて重ねていく、つまり、塗った張ったという行為は、ほとんど手作業でした。また、この塗った張ったという加工行為に使用する機器もほとんど手製でした。(新井氏)」

 円盤形状の記録実験用ディスクの製造には、思わず笑ってしまうような実話もある。その一例が、記録材料の色素の塗布の方法で、なんと「注射器」を使って手作業で行ったのだという。「ディスクへの色素塗布は、陶芸で使うロクロのようなものの上にディスクをおき、回転させて注射器を使って色素を塗るんです。当時、CD-R開発チームでは、これができるようになると一人前と言われました。垂らす量とかありますから。これが難しいんです。(新井氏)」
 この作業は、現在では、スピンコーターと呼ばれる装置で行われている。スピンコーターは、上記の手作業を機械で自動的に行うようにしたような機器である。ディスクを高速回転さえ、そこに液状の材料を落とし、ディスク全面に均一な厚みで材料を塗布する装置だ。CD-R開発チームは、これと同じことを手作業で行っていたというわけで、ある意味、職人芸といえるかもしれない。

 新井氏は、当時を振り返りこう話す。「他のこともそうなんですが、知らないことの強さっていうんでしょうか。こういうものなのかなと思っていると、実験環境が悪いとか、こんなレベルなのかとか悲観するようなこともありませんでした。今思えば、見えない世界の実現にむけてひたむきにやっていたという感じなんでしょうか。」

 CD-Rの開発を始めてから2年半、ひたむきな努力の成果として。太陽誘電は、当時、社内で「CRD(コンパクトレコーダブルディスク)」と呼ばれたCDアッパーコンパチの12cmのライトワンスディスクを開発する。

次回予告:しかし、CDコンパチブルへといたるその道のりには、さらなる困難が待ち受けていたのだった……。
……第2回へ続く
新井雄治氏
記録メディア事業部 技術部
技術部部長
藤井 徹氏
記録メディア事業部 技術部
技術部課長
太陽誘電株式会社
本社 台東区上野6丁目16番20号
代表者 代表取締役社長 神埼芳郎
設立 1950年(昭和25年)3月23日
主な
生産
品目
セラミックコンデンサ、インダクタ、回路モジュール、光記憶メディア、セラミックチップアンテナ・フィルタ・バラン、バリスタ、NTCサーミスタ、バルクフィーダ
URL http://www.yuden.co.jp/
●光記憶メディアの主なトピック
1988年9月 世界初のレコーダブル・コンパクトディスク「That's CD-R」の商品化を発表
1998年10月 4.7ギガバイトのDVD-Rの商品化技術確立を発表
2004年10月 光ディスク基板材料であるポリカーボネイトのリサイクル事業を本格開始
●ここでご紹介している太陽誘電鰍ェ、「ビジュアルグランプリ2008」にて以下の各賞を受賞しました。
・BDメディア部門第一位
・CDメディア部門第一位
・開発賞
・技術賞
賞の詳細はこちら→Phile- web
最終更新日:2008年7月30日
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